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特にアメリカの大統領選挙などのときに、保守層の有権者に訴えかけるために前面に押し出されてくる価値概念。
キリスト教の価値観に基づいた家庭を築くべきだとの主張で、女性は健全な家庭を築くために家庭にいて夫と子供の世話をすべきであり、家庭内では婚前交渉や同性愛や妊娠中絶に反対する教育をすべきと訴える。家族が単位で、家族を守るための名目で、銃の保持も当然のように推奨する。
これはアメリカでの「家族の価値」戦略の例であるが、「家族の価値」というフレーズを用いて、ある特定の価値観を浸透させようとする試みは、いろいろな国の保守層に見られる。
日本でも、「キリスト教」に替わって「日本の伝統にある」とか「古くから日本人の美徳とされてきた」とかのフレーズが用いられることを別とすれば、保守層が「家族の価値」を前面に押し出すのはアメリカと同じ。
「家族の価値」という言葉は、字義通りに解釈するなら、良い意味を持つフレーズのように聞こえる言葉なので、字義通りの意味以外の意味が込められていないか、非常に注意が必要。例えば、「家族」とは何か、「価値」とはどんなことかなど、よく考えるとあいまいで分からない。そういう曖昧な領域に、知らず知らずのうちに別の意味が込められていくことが多し。根は「愛国心」をめぐっての議論と同じ。
昨年暮れに、アベシンゾーが「勤労感謝の日」を「家族の日」と変えようと言い出したことや、自民党の憲法改正案で、24条に関して「家族は、一番身近な公共」という含みを持たせようとする流れが、「家族の価値」を訴え、その「家族の価値」の意味に字義通り以外の意味を込めようとしていることの現れ。憲法改正では、前文や9条ばかりが問題ではないのをあらためて認識すべきと思われる。
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