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直訳すれば、「副次的(派生的)なダメージ」。何のこっちゃ? とは思う。「副次的」ということは、主要じゃないわけだから、まあ、あまり大したことじゃないんだなと解釈しがちだし、「ダメージ」ということは、何か事を起こしたとして、そのコトを起こした主体がダメージを負ったのだなと解釈しがちになる。要するに、「何かコトを起こしたけど、あまり大したことじゃない、ちょっとした周辺的なダメージを負っちゃった」みたいな意味に解釈しちゃう。
だが、実際は、この言葉で表される事象は、このような意味の正反対のことであるのが普通。例えば、現代での戦闘行動を例に取ると、本来の戦争では、兵士間の戦闘行動に限定されるわけで、民間人を殺傷した場合、国際法に違反した行為になる。そう言った、戦闘行動で民間人の犠牲者を生んでしまった時、それら犠牲者のことを「コラテラル・ダメージ」という言葉で表すことが多い。
民間人を殺すわけだから、国際法や人道に反するものであり、決して、「副次的な、大したことじゃない」というものではない。また、被害を受けたのは民間人の方であるから、戦闘を行った軍や兵士の方が「ダメージ」を負ったわけでもない。責任は軍や兵士の方にある。
「副次的なダメージ」という言葉を使うことによって、コトの重大さ、責任の所在を曖昧模糊としたものに印象付けてしまうのである。
このような「言い換え」による印象操作は、政治関係ではよくあることで、例えば「武器輸出三原則」を「装備移転三原則」と言い換えたり、「残業してもお金は出さねえよ」といった効果を持つ法案を「ホワイトカラーエグゼンプション」と言ったりとか。戦闘に参加する可能性が格段に増える効果がある一連の法を「安全保障法案」と言うのも同じ。
どうして、意味に忠実な命名をしないのか。本来の意味と離れた意味を表す言葉を使うのか。ジョージ・オーウェルの「1984」が思い出される。
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