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自分のジェンダーについて「自分は男だ、女だ、中性だ、トランスジェンダーだ」などなどと自認する場合、通例は、ある一定の期間、場所を問わず、その自認が続くものと理解されがちであるけれども、中には、ある時間と場所では男となり、別の時間と場所では女となったりなどと、ジェンダー自認が流動的に変わる人もいる。ここでの「場所」とは、空間的な場所に加えて、社会的な場所(つまり職場、家庭、ネット内など)も含む。つまり時と場所に応じて、ジェンダーを自由に変えることが、自分にとっては最も自然と感じる人たちである。そのようなジェンダー観を持っている状態をジェンダーフルイッド(gender fluid)と言う。「フルーイッドfluid」とは「液体状態」のこと。すなわち「流動的」ということ。
下のイラストはHere's a beginner's guide to all things gender fluidからの借用。このページは分かりやすかった。
人は、一貫して自分のアイデンティティを保持していなければならないと思い込むと、結構、生きづらい局面にぶち当たりやすいし、自由に(あるいは気ままに)活動しづらくなるものだ。「~らしさ」が常に付きまとうことになるから。「男らしく、女らしく」に始まって、「父親らしく」とか「母親らしく」とか「わが社の社員らしく」とか「教師らしく」とか「警官らしく」とか、果ては「社会人らしく」とか。そういう「~らしさ」が求められる時と場所では、それらしく振る舞い、別の時と場所では別の人間になって振る舞う。現実の自分とネット上の自分を使い分けるように。そういうふうに、複数の人間を時と場所によって使い分けることは、ブレるとか一貫性がないとかではなくて、むしろ自由に生きるためのごく普通に認められるべき生活様式なのじゃないかと思う。確か、平野啓一郎氏の言う「分人」って概念がそれなんだったな。
そういう考えで言うと、性別というかジェンダーも自由に変化するジェンダーフルーイッドが一番自然で拘束が少ないのかもしれない。
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