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黄金律 [Golden Rule]
【2006/06/15 13:34】
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思想・文化・宗教
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各宗教がさだめる、人生において守るべき行動規範のことを言う。キリスト教の場合は、マタイによる福音書7章12節やルカ伝6章31節が、その代表とされるらしい。
何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。 Do as you would be done by. Do unto others as you would have them unto you.
他の宗教・諺では・・・(http://www.tanaka-library.com/shoraitex.pdfより)
エジプト:「他人のために良かれと自らが望んだことを捜し求め、それをしてあげなさい」 ペルシャ:「あなたが人からしてもらいたいことを、人にしてあげなさい」 仏陀:「他人の幸せを、自ら望んで捜し求めなさい」 孔子:「あなた自身が望まないことを、他人にしてはならない」 モハメット:「あなたがしてもらいたくないような方法で、あなたの兄弟たちを扱ってはな らない」 ギリシャ:「隣人から敵意を抱かせるようなことをしてはならない」 ローマ:「すべての人が心に刻み込んでおかなければならない法律とは、あなた自身の社会 の人たちを愛することである」 モーゼの律法:「あなたが隣人からしてもらいたくないことを、隣人にしてはならない」 イエス:「すべて人にせられんと思うことは、他人にもその通りにせよ」
キリスト教の方は、「他人にしてやれ」と行動を促すのに対して、孔子の儒教の方は、「他人にするな」と行動を制止しているところが、面白い。「自分がしてもらいたいこと」にせよ「自分がされたくないこと」にせよ、その判断は個人的なもの。よって、人によっては、「してもらいたいこと」が本当は「して欲しくないこと」だったり、逆に、「されたくないこと」が「して欲しいこと」だったりする場合もあるはず。
そういったズレが生じる場合でも、キリスト教の方は、「他人にしてやる」のが美徳とされ、儒教の方は、「してあげない」のが美徳とされる。
なお、モーゼの律法が儒教的に否定文になっているのは、例の「十戒」なので否定文で言うしかなかったからかも。
孔子の言葉をもうちょっと詳しく見ると・・・(http://www.asahi-net.or.jp/~df3m-med/word1999.htmlから引用)
子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎。子曰、其 恕乎。己所不欲、勿施於人。
子貢が(孔子に)たずねた。「たったの一言で、一生涯それを実行していく値打ちのある言葉があるでしょうか。」 孔子「それこそ恕(思いやり)であろうよ。(思いやりとは)自分のしてもらいたくないことは、他人にもしむけてはならないということなのだ。」
ということらしい。「恕」(思いやり・寛容)と「怨」(恨み、妬み)って紛らわしい字だ。
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